飽きっぽい人間でも継続できるようになる


こんにちは。トークスの岡田です。


「何をしても飽きっぽくて続かない」
そんな悩みをお持ちですか?


実は、私は小さい頃からすべてにわたって飽きっぽい人間でした。
大学を卒業して就職を決めるときには、飽きっぽい性格を考えて会社を決めたほどです。


私が小学校3年生の頃、ギターが欲しくて母親にねだったことがあります。
母は、私が飽きっぽいことをよく知っていますから、「ハーモニカを練習して10曲吹けるようになったら買ってあげる」と言いました。
私は、一生懸命練習して10曲吹けるようになりました。
ところが、その頃には「ギターが欲しい」ことすら忘れていました。
それくらい続けることができない少年でした。


私は1950年(昭和25年)生まれです。
この時代は、大ヒットした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』と同じです。
ちなみにギターもアコギはまだ日本では売られておらず、クラシックギターしかなかった時代です。
はじめてのフォークギターは1966年にヤマハから登場し、このときにようやくゲットしました。


長じてからも私は相変わらず飽きっぽい人間でした。
1969年、大阪の高校を卒業し、アメリカのジュニア・カレッジへ留学。
まだ1ドル=360円の時代でした。
1971年、ジュニア・カレッジを卒業し、カリフォルニア州立大学編入学が決まっていたにもかかわらず、留学を継続する力が足りず帰国しました。
その前年には大阪万博を見学するために夏休みを利用して一時帰国までしています。
どれだけ親に迷惑をかけたのかと今頃反省しています。


さて、当時は日本の大学のほとんどがアメリカの大学の単位を認めてくれませんでした。
運良く京都の同志社大学アメリカの大学の単位の約6割を認めてくれ、1972年に3年生から編入学しました。
もちろん試験はありました。
受験者は非常に大勢いて我ながらよく合格できたものだと思います。


アメリカ時代は「将来、○○になる!」という話は友人としたことはありましたが、「○○社に就職する」という話はしたことがありませんでした。
ところが、同志社に3年生で編入学をしたせいかみんなが就職活動をしています。
日米のギャップをすごく感じたのを今でもよく覚えています。


私は、小さい頃から何をやっても続かないので、就職は難しいと思っていました。
当時、「英語ができることから」輸出に力を入れているメーカーさんからもお誘いもあったのですが、どうも飽きてしまうような気がしました。
それでデパートへの入社を志望したのです。
デパートなら売り場がたくさんあるし、京阪神に3店舗あったので、異動すれば定年まで大丈夫と思ったからです。
実際は売り場とは全然違う東京の貿易部門に配置され、結局10年弱しか勤まりませんでした(汗)


こんな飽きっぽい性格の私がいろいろと継続する力を身につけることになるのですから、あなたもあきらめないことです。


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